2012年4月22日日曜日

ボストン美術館展《平治物語絵巻》

27 《平治物語絵巻》「三条殿焼討巻」 13世紀後半、鎌倉時代

平安末期(1159年)に起きた平治の乱の100年後に制作された《平治物語絵巻》は、本来は15巻にもおよぶ大作だったが、現在は「三条殿焼討巻」(ボストン美術館所蔵)、「六波羅行幸巻」(東京国立博物館所蔵)、「信西巻」(静嘉堂文庫美術館蔵)の3巻と、色紙状の数葉のみが現存している。

「三条殿焼討巻」は、平治の乱のきっかけとなった、藤原信頼と源義朝による後白河上皇の拉致と御所三条殿の焼討の場面を描いたもの。

焼討の炎を見て駆けつける公卿たちや、逃げ惑う人々、衝突する牛車、牛車に轢かれる人など、都の争乱の混乱ぶりがじつにドラマティックに描かれている。

生き物のように勢いよく燃え上がる炎ともくもくと立ち上る黒煙の描写は圧巻!
きっとこの絵巻の絵師は、どこかで火災が起きるたびに一目散に駆けつけて、スケッチしたのではないかなあ。都を焼き尽くす炎が、最小限の描線で巧みに描かれていた。

三条殿のなかでは、凌辱されたと思われる、胸をさらした女房たちの無残な屍が折り重なり、抵抗する人々の首や腹から鮮血がほとばしり、塀の外では信西の生首が薙刀にくくりつけられてさらされるなど、地獄絵図のような凄惨を極めた場面がリアルに描かれている。

平安末期に制作された《吉備大臣入唐絵巻》には、どこかほのぼのとした、ユーモラスでのどかな雰囲気が漂っていたのに対し、鎌倉後期に描かれた《平治物語絵巻》は、厳格で透徹したリアリズムと、見る者の猟奇的嗜好を刺激する、容赦ない残虐性で彩られている。

全体を俯瞰する角度から描かれているのだが、まるで一大スペクタクル映画の戦闘シーンのように、迫力に満ちていた。



〈番外編〉東京国立博物館・国宝室(本館2階)

《平治物語絵巻》「六波羅行幸巻」  13世紀後半、鎌倉時代

東博の常設展では、国宝《平治物語絵巻》「六波羅行幸巻」が、展示されていた。
「六波羅行幸巻」は、内裏に幽閉された二条天皇が脱出を図り、清盛の六波羅邸に逃げ込む場面を描いたもの。この巻は、江戸時代には大名茶人・松平不昧公が所蔵していた。


第1段:天皇と中宮が乗る牛車の御簾を上げて中をあらためる武士たち

第2段:美福門院の六波羅御幸を護衛する人々



第3段:六波羅邸の武者揃い


第4段:天皇の脱出を知ってあわてる信頼



人々の表情やポーズや動きが場面に即して的確に描かれているのがこの絵巻の魅力だ。
躍動感に満ちた壮大な「三条殿焼討巻」とあわせて見ると、楽しさが倍増する。


この「六波羅行幸巻」で注目したいのが、中年の「牛飼い童」。

遠目で見れば牛飼い「童」だが、クローズアップしてみると、むさくるしい中年男


橋本治の『ひらがな日本美術史2』には面白いことが書いてある。


平安時代の”牛飼い童”は、長い髪を後ろで一つにまとめ、水干を着て裸足で牛を引く。これはあきらかに”少年の風俗”なのだが、しかしだからといって、すべての”牛飼い童”が少年だったわけじゃない。
(中略)
”牛飼い童”は職業で、彼がその職業についている限り、彼は”童”を卒業することが出来ない。だから、牛飼いの童の中には、こういう陰鬱でごっつい中年男もいた。

 院政の時代とは、摂政関白という、たった一人の男に牛耳られていた優雅な抑圧の中から複数の男たちが誕生する、猥雑な時代なのだ。保元の乱も平治の乱も源平の合戦も、こういう複数の男たちの自己主張から生まれる。(中略)
 そこには、さまざまな男たちがいる。品のいい若武者も、ごっつい牛飼いの童も、昔ながらの貴族も。野蛮で生々しくて雑駁で優雅な《平治物語絵巻》は、こうした院政時代の内実を十分に消化吸収した後の鎌倉時代になって生まれた、新しい絵巻物なのである。
――橋本治『ひらがな日本美術史2』



橋本治のいう「野蛮で生々しくて雑駁で優雅な《平治物語絵巻》」は、この春、東博の特別展・常設展、そして静嘉堂文庫美術館で見ることができます。

現存する3巻を1度に鑑賞できるまたとない機会なので、時間を見つけて、静嘉堂文庫美術館「東洋絵画の精華」展にも行ってみようと思います。