2012年4月22日日曜日

ボストン美術館展〈華ひらく近世絵画〉〈奇才 曾我蕭白〉

東京国立博物館「ボストン美術館 日本美術の至宝」展第Ⅵ部は〈華ひらく近世絵画〉。
ここでは、安土桃山時代から江戸時代までの近世絵画が展示されており、天才絵師たちによる華麗な競演となっていて、非常に見ごたえがあった。


44 《龍虎図屏風》 長谷川等伯、1606年、江戸時代
第3部の展示室に入って真っ先に目に飛び込んでくるのが、この大画面の龍虎図。
龍虎の形などは、大徳寺所蔵の牧谿の《龍虎図》から取り入れたとされている。

画面の左右に描かれた対峙する龍と虎。
龍のまわりにヒゲや波の曲線、虎の足元には角張ってゴツゴツした断崖を描くことで、「陰」と「陽」の力の拮抗と「氣」のバランスが見事に表現されている。

款記には、「自雪舟五代長谷川法眼等伯筆 六十八歳」とある。東伯晩年の傑作。



48 《十雪図屏風》 狩野山雪、17世紀前半、江戸時代
詩文集『皇元風雅』の「十雪題詠」を典拠とするこの画は、雪にまつわる10の話をもとにしたもの。
作者は、狩野山楽の婿養子で、京狩野三代目の山雪。

岩や楼閣や庵は、矩形や三角を組み合わせた幾何学的な構成で描かれているが、ふわりと積もった雪のぬくもりや軽やかな感触、雲が立ち込める空、湿り気を帯びた空気などは有機的に表現されている。
江戸狩野には見られない、山雪独特の個性的な造形意識が楽しめる絵だった。


49 《四季花鳥図屏風》 狩野永納、17世紀後半、江戸時代
京狩野三代目の永納による金地濃彩の花鳥画。豪華ななかにも、桃山時代や江戸狩野とは異なる繊細さや、琳派のような装飾性が見られた。京らしい華やかで典雅な作品。



最後のコーナーは〈奇才 曾我蕭白〉の独壇場。
そこには蕭白ワールド全開の、奇天烈な空間が広がっていた。

61 《龐居士・霊照女図屏風(見立久米千人)》 曾我蕭白、1759年、江戸時代
 表面的には、娘の霊照女と一緒に、竹籠を売って暮らした唐代の隠者、龐居士(ほうこじ)を描いたものだが(現にこの絵では仙人らしき人物が竹籠をつくっている)、川で洗濯する女のふくらはぎを見て欲情し、神通力を失って落下した久米仙人の話(「今昔物語」)も重ね合わされている。

 好色そうな顔つきの隠者(じつは久米仙人)や、煩雑ともいえるほど緻密に描かれた岩や植物には、濃墨と金泥が多用され、蕭白特有の粘着質な画面に仕上がっている。

蕭白のほかの作品と同様に、この画にも無数の斑点が、まるで小虫が画面にたかっているように執拗に描かれており、それが不快なざわめきとノイズを起こして、不安を掻きたてる。

蕭白は決して、美しく心地よい画を描こうとはしていない。
人の心を波立たせ、神経を逆撫でし、感覚を刺激することを意図したように思える。

蕭白の作品を12点も蒐集したフェノロサも、彼についてこのように述べている。
曾我秀文と蛇足の子孫である蕭白という絵師さえ、古い中国様式の人物・山水をおろかにも蕪村に似た狂的な画風で制作している」。

 つまり、フェノロサ自身は蕭白の絵が好みではなかったが、作品の芸術的価値については高く評価していたのだろう。

 わたし自身もこの展覧会で見るまでは、蕭白については異才とは思うが、どちらかというと不快感を催すので、あまり好きにはなれなかった。しかし、本展覧会の目玉のひとつである《龍雲図》を見て、そうした印象は覆された。



62 《龍雲図》 曾我蕭白、1763年、江戸時代

これはもう、ひと言でいうと「凄かった!」です。
蕭白、恐れ入りました!
          
この画はビゲローが収集したものだが、長いあいだ贋作扱いされて、ボストン美術館の倉庫の隅に眠っていたのを、同美術館の学芸員が偶然発見し、以来、蕭白の虜になったというエピソードがある。

《龍雲図》は、もとは寺院の連続構図の襖絵だったものだが、両側の八面分だけ剥がされたものらしく、画面中央の胴体部分が欠けている。
両側をつなぎあわせたものだが、見ていてそれほど違和感はないばかりか、その分、龍の顔がクローズアップされて圧倒的なパワーで迫ってくる。

実際に、蕭白は一気呵成に描いたらしく、余白部分には濃墨が飛び散り、龍の爪や鱗も迷いのない一筆で、鋭く、勢いよく描かれている。

金属質な鱗に覆われた龍の尾は、キングギドラを思わせる不気味な光沢を放ち、白波は触手のようにくねくねとうねりながら、何かを求めて彷徨っている。
グロテスクだけれど、どこか剽軽な龍の表情は蕭白ならでは。
(勝手な想像だが)本展覧会を訪れる人で、この画にノックアウトされない人はいないのではないだろうか。



*****

この展覧会全体を通していえるのは、作品の保存状態がきわめて良好なことだ。
ボストン美術館の作品の管理・保存技術が優れているのもあるだろうが、やはり気候の影響も大きいのではないだろうか。
最近ではたいていの美術館で空調・除湿設備が完備されているが、湿潤温暖な日本で、傷みやすく繊細な日本画や日本美術を保護・保存することの難しさをあらためて思い知らされた。

作品の劣化を遅らせた(アンチエイジングになった)という点では、日本美術が海外に流出したことは、ある意味では幸いだったのかもしれない。