2011年7月10日日曜日

東京国立近代美術館・日本画の名品

近代美術館の常設展では四季に合わせた作品が展示されています。
特に日本画は季節感豊かなので、夏の涼をひととき楽しむことができました。



上村松園《新蛍》1944

涼やかな青磁色の着物に赤い献上柄の博多帯。
夏らしい青灰色を基調としつつ、唇の紅や襟裏と袖口の紅絹の色など、赤のスパイスを利かせて、画いを若々しく引き締めているところに、松園の絶妙な色彩センスがあらわれています。



太田聴雨《星をみる女性》1936

七夕祭りで有名な仙台出身の画家の作品。  
白地の中振袖を着た娘たちが、当時としては最先端の技術だった天体望遠鏡をのぞくという、ユニークな主題を扱っています。

望遠鏡の細長い線と、レンズをのぞく女性のたおやかでほっそりとしたスタイル、長い振袖など、縦のラインを多用することで、すっきりとした涼しげな画面構成に仕上げています。
無機的な機械装置を登場させているにもかかわらず、ロマンティックな雰囲気が漂う素敵な画でした。




鏑木清方《墨田河舟遊》1914
    
大名一家の舟遊びの光景を描いた作品です。
写真は人形遣いが奥方たちの前で上演している場面。
ほかにも、歌妓や猿まわし、網打ちや物売りなど、江戸の夏の風物詩が賑やかに描かれています。




下村観山《大原御幸》1908

大原の寂光院に健礼門院を訪ねた後白河法皇。
訪問の成り行きについては諸説ありますが、観山のこの画では、わびしい山里の庵での対面がしっとりと描かれています。




鏑木清方《目黒の栢莚(はくえん)》1933

庭の草花を愛でながら、床の上で夕涼みをする夫婦と侍女(?)。

画賛には以下のように記されています。


ほととぎすほととぎすとて起こしけり    翠扇

杜宇ほぞへかけたか目黒道        錦女

花ばたけの前に床を据えて
翠扇は錦女にしらがぬかせ 
予は茶をのみてたのしむ          老の楽


節電の夏ですが、こんなふうに優雅に暑気払いができるといいですね。
いにしえの人を見習いたいものです。



下村観山《唐茄子畑》1911


日本画の画題には夏野菜も登場します。

どうも様子が違うなあと思ったら、「唐茄子」ってナスではなく、カボチャのことなんですね。
格子状に編んだ棒に蔓を絡ませた唐茄子が、葉脈や茶色く枯れた部分、白い葉裏など、写実性と装飾性を織り交ぜながら変化に富んだ姿で描かれています。
少しアールヌーヴォー的な要素もあるのかもしれません。
画面左下に描かれた黒猫が愛らしいアクセントになっています。




小林古径《唐蜀黍》1939


これも夏野菜の画。
トウモロコシってなんとなく暑苦しい感じがしますが、みなぎる生命力を表現しながらも繊細で涼しげな風情に仕立てているのは古径ならでは。




浅原清隆《郷愁》1938

これは日本画ではなく油彩画なのですが、今回とても心惹かれた作品のひとつ。
写真ではまったく再現できなかったのですが、深みのある透き通るような青をたたえた神秘的で荘厳な絵でした。
何も考えずに頭を空っぽにして、いつまでもうっとりと眺めていたくなるような絵。
美しい絵の前では、言葉も思考も何も要らなくなります。
ただ感覚だけで味わいたい。


所蔵品めぐりは、ひたすら絵の美しさに耽溺できた幸せな時間でした。

 










東京国立近代美術館・常設展のパウル・クレー

美術館の収蔵作品展には、企画展に合わせてパウル・クレーの作品群も展示されていました。
             
小さな秋の風景(1920)油彩

秋色に染まった可愛らしい作品。
四角い石畳に、木の実や枯葉が隠れているようなイメージです。


破壊と希望(1916)リトグラフ

徴兵直前に描かれた作品なのかな。
当時のクレーの心情や時代の雰囲気があらわれている気がしました。

内面から光を発する聖女(1921)リトグラフ

クレーが描く「美女」や「淑女」や「聖女」って矛盾を孕んでいて、どこか反語的。

企画展に展示されていた《魅力(女性の優美)》というタイトルの作品にも、グロテスクで意地の悪そうな年配の女性が描かれていました。

ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』みたいな意味合いがあるのかな。
つまり、外見はタイトル通りの聖女や魅力的な女性だけれど、内面は絵に描かれているような醜悪さを秘めている女性の本性を描こうとしたとか……。

ドイツ語がわからないので確認できないのだけれど、もしかすると、クレーのタイトルにはダブル・ミーニングが込められているのではないでしょうか。



櫛をつけた魔女(1922)リトグラフ

これも、どうみても魔女には見えない。
可愛らしい「おじさん」かと思いました。
カリカチャア的なものなのかな。



棘のある道化師(1931)銅版
    
「棘のある道化師」って、諺か何かに由来しているようなタイトルですね。
どうなのだろう……。  




ペルセウス(機知は苦難に打ち勝った)(1904)銅版
    
ギリシャ神話の英雄がこんな顔に……。
アルチンボルドや歌川国芳の顔絵を彷彿させます。




空中楼閣(1915)銅版
 「空中楼閣」って蜃気楼のことだけれど、ドイツ語でもそうなのだろうか。
         


情熱の園(1913)銅版

人物が入り乱れているのかな……。
ソドムの街みたいに見える。


花のテラス(1937)綿布に油彩

これは綿布に描かれているので、質感が面白い作品でした。
布の端のほつれがそのままになっていて、それも作品の味わいとして経年変化を楽しんでほしいという画家の意図がうかがえます。

               

パウル・クレー ~ おわらないアトリエ

Art in the Making 1883-1940

金曜日の午後、東京国立近代美術館で開催されているパウル・クレー展に
行ってきた。

バウハウス・ヴァイマールのアトリエ(1926)

今回の企画展は、「制作過程そのものが作品」と述べたクレーの技法や制作プロセスを追体験するための趣向が随所に凝らされていた。

『自画像』のあとの『アトリエの中の作品たち』のコーナーでは、クレーが生涯に構えた5つの街のアトリエの写真を展示し、その写真の中の作品がアトリエごとに紹介されていた。

解説によると、クレーがコダック製カメラで撮影したアトリエの光景は、一見無造作で自然に見えるが、じつは画家自身によって巧みに配置され、演出されているそうだ。

クレーの作品群が映っているアトリエの写真そのものも、彼の作品だったということになるのだろうか。



ここに掲載した写真以外にも、いかにもバウハウス時代のドイツを思わせる室内空間がノスタルジックな雰囲気を醸していた。



破壊された村(1920)油彩、アスファルト下地、厚紙

ミュンヘンのアトリエの写真の中の絵のひとつ(ポストカードの絵なので画像が粗い)。
このころは油彩で具象画的な作品を描いていたようだ。
どちらかといえば表現主義的な作風だ。

尖塔がずれた教会の前に、死者を悼むように燭台と火の消えた蝋燭が掲げられている。
ゲルマン的な瞑想の森は戦火に見舞われ、焼け残った樹木がかろうじて形をとどめているばかり。
人影なもはやなく、廃墟と化した村に、血のように赤く沈鬱な太陽が昇っている。


わたしがこの作品にひかれたのは、いうまでもなく、震災・原発事故を想起させたからだ。

この絵が描かれた数年前に第一次世界大戦が勃発し、クレーもドイツ軍に入隊。青騎士展にともに出品した友人のマッケやマルクは戦死した。

破壊されて荒廃した祖国や失った友への思いがこの絵に込められているのかもしれない。



  
淑女の私室でのひとこま(1922)油彩転写、水彩、紙、厚紙

1914年のマッケとのチェニジア旅行と1917年の従軍経験を経て、クレーは「油彩転写」という独自の技法を開発した。
油彩技法とは、黒い油絵を一面に塗った紙の上に、白紙の紙を置き、さらにその上から、あらかじめ描いていた素描を重ねて、素描の描線を針でなぞり、白紙の紙に黒い描線を転写したあと、水絵の具で彩色する方法。

むかーし、保育園か幼稚園のころに、クレヨンで描線を引いた上から水彩絵の具で着色した絵を描いたり、クレヨンでカラフルに色づけした画用紙を黒いクレヨンで塗りつぶし、その上から釘でひっかいて絵を描いたりしたことがあるけれど、なんとなく、あの「ひっかき絵」に似ている気がした。
(あの手のお絵かきは結構好きだった。)

   
この《淑女の私室でのひとこま》も、油彩転写を使った作品。

針でなぞったおかげで繊細な描写が可能になり、さらに水彩画で彩色したことで、油彩には出せないガラスのような透明感を表現することができた。

そして何よりも(これはクレーが思考錯誤の末に見出したものだと思うが)、転写の際に偶発的についてしまう黒い油彩の「しみ」が、この絵に独特の味わいを添えている。


実験的な技法と、緻密に計算された構図と透けるような色彩。
それらに、水彩画のにじみや、水が沁み込んだことによる紙のゆがみ、そして転写による黒いしみといった偶然性を加えることが、クレーの狙いだったのだろう。

そしてさらにこの絵を面白くしているのが、そのタイトルだ。
何も知らされずにこの絵を見て、「淑女の私室でのひとこま」というタイトルを想起する人はまずいないだろう。
タイトルを目にして、あらためてこの絵を見ると、さまざまな要素がどこか官能的で、エロティックなかたちとして立ちあらわれてくる。
        
描線にも、色彩にも、構図にも、素材にも、タイトルにも、そして絵の汚れにさえも、巧妙な仕掛けが施されているのが、クレーの絵なのだ。



花ひらいて(1934)油彩、カンヴァス

クレーは油彩転写のほかにも、さまざまな試みをおこなっている。

そのひとつが、この《花ひらいて》という作品。
この絵は、《花ひらく木》という1925年に描いた自分の絵をもとにして描かれた(《花ひらく木》を90度左に回転させてから二倍に拡大して、色彩を明るくして描いている)。

《花ひらいて》の裏に、《無題》という絵が描かれている点も興味深いが、わたしが心ひかれたのは、《花ひらく木》と《花ひらいて》の素材の違いである。

《花ひらく木》は厚紙に描かれているのに対し、《花ひらいて》はカンヴァス地に描かれているのだが、素材の違いで、色の質感が微妙に異なるのが面白い。

特に紙に描かれた《花ひらく木》のほうは、経年により厚紙に凸凹ができているため、それがさらに色彩のグラデーションが生み出す湾曲感を高めていて、非常に立体的な作品に見えるのだ。

平面(二次元)的な絵画に立体感(三次元的感覚)を与え、さらに「経年」という時間的な変化をも加えて、作品を(画家自身の死後も)継続的に創作していく。
これこそが、クレーの制作プロセスであると同時に作品でもあることを気づかせてくれる試みだった。





獣たちが出会う(1938)油彩、糊絵の具、厚紙、合板

1930年代半ば、ファシズムが台頭する中で、クレーは「頽廃芸術家」というレッテルを貼られ、家宅捜査や美術アカデミー教授職の無期限解雇(バウハウスとの契約はみずから解消していた)などの弾圧を受ける。

1915年の《闊歩する人物》という作品の裏には、新ミュンヘン分離派の印刷物が貼られている。
それによると、「我々は若者を堕落させるもの、汚物を撒き散らすもの、つまりはドイツ精神の裏切り者とみなされた。我々は意味もなく横暴なだけのこうした避難を跳ね除け、罵詈雑言を振り払う所存である。我々は活動を続けていく」とあり、当時のクレーの決意がうかがえる。

だが、ナチスによる弾圧がさらに強くなるなか、1935年には皮膚硬化症の最初の兆候があらわれ、1937年にはドイツ国内の公的コレクションから102点のクレー作品が押収される。

そうした逆境のなかで描かれたのが、この《獣たちが出会う》だ。 

クレーは晩年その描線を、油彩転写に見られる針金のような繊細なものから、書の墨線のような太くたくましい描線へと変化させ、色彩もアフリカ的でエスニックな色調に変えて、象形文字のような記号を数多く登場させている。

中期の《蛾の踊り》や《幻想的なフローラ》に見られる、ステンドグラスのような透明感のある美しい色彩とはまったく異質の、太陽の光を跳ね返すような強烈な色彩。
この大きな作風の変化の背後にはいったい何があったのだろう。

亡命の地での闘病生活における彼の思いや心境はうかがい知ることはできない。
しかし苦しく不自由な環境でも、否、苦しく不自由な環境だからこそ、そのなかで創造力をさらに自由に駆使して、さまざまな実験を試みることができる、そのことをクレーの作品は教えてくれる。

彼の作品はどれもみな永遠に解けない謎だけれど、彼の絵がはるか海を越えて今の日本に来てくれた、そのことに意味があるような気がする。

数々の展覧会がキャンセルになる中でこの企画が実現し、見る人の心をときめかせたという事実に、クレーからのメッセージが込められていると勝手に思うことにした。

いずれにしろ、見るたびに違った見方ができるのが、クレー作品の魅力である。
できれば会期中にもう一度訪れることができますようにと念じつつ、会場を後にした。

             
                     
                

2011年7月9日土曜日

東北を思う ~松本竣介作品に出会う

東京国立近代美術館の所蔵作品展では、東北にゆかりのある作品が展示されていた。                


松本竣介《並木道》1943

宮城県立美術館所蔵の洲之内コレクションの一枚として松本竣介の《白い建物》が、日曜美術館で紹介されていて、松本竣介の絵を見たいと思っていたところ、運よく彼の作品に出会うことができた。

写真ではくすんだ色だが、実際の作品はもう少し青みがかっていて静謐な心象風景のような印象。
松本竣介が聴覚を失っていたことから、彼の作品は「音のない世界」といわれるが、本当に無音の世界の中で、時が止まったかのような不思議な絵だった。



東山魁夷《青響》1960

福島市から会津若松を抜ける土湯峠のブナの原生林と山肌を流れる清らかな滝を描いた作品。

鳥肌が立つほど神秘的で奥深い碧。
画家に霊感を与えた彼の地の自然。
その清浄で神々しい山を汚してしまった人間の愚かさを、この画は鏡のように映しているような気がした。
この画は言葉以上に、人間の愚行の結果を雄弁に物語っている。




奥田元栄《磐梯》1962
                                  
宮城県生まれの画家の作品。
絵の具で厚く彩色することにより、岩肌のゴツゴツした質感を再現している。

「磐梯山に対峙したときに抱いた自然の脅威や畏敬といったものを、自分なりに表現できたと思った」と画家は述べている。

                                 


高村光太郎《鯰》1926

どうして高村光太郎が「東北を思う」のカテゴリーに入るかというと、『智恵子抄』の阿多多羅山(安達太良山)つながりだからとのこと。

その『智恵子抄』に「鯰」の制作過程をうたった詩がある。


盥の中でぴしやりとはねる音がする。
夜が更けると小刀の刃が冴える。
木を削るのは冬の夜の北風の為事である。

煖炉に入れる石炭が無くなつても、
鯰よ、
お前は氷の下でむしろ莫大な夢を食ふか。

檜の木片は私の眷族、
智恵子は貧におどろかない。

鯰よ、
お前の鰭に剣があり、
お前の尻尾に触角があり、
お前の鰓に黒金の覆輪があり、
さうしてお前の楽天にそんな石頭があるといふのは、
何と面白い私の為事への挨拶であらう。

風が落ちて板の間に蘭の香ひがする。
智恵子は寝た。

私は彫りかけの鯰を傍へ押しやり、
研水を新しくして
更に鋭い明日の小刀を瀏瀏と研ぐ。


      



佐藤玄々《動》1929
    
ガブッ。
ネコ(豹?)がガチョウにかぶりつく瞬間。

福島県相馬郡出身の彫刻家の作品。
ペルシアの獅子狩文などに、獅子が鹿や猛禽にかぶりついている姿がよく描かれているが、 そこから着想を得たのかもしれない。

ネコもガチョウも必死なのだろうが、どことなく愛嬌がある。
印象的な面白い彫刻だった。                         



萩原守衛《女》1910
                                             
長野県出身の萩原守衛がなぜ東北なのかというと、モデルの相馬黒光が宮城県の出身だからとのこと。
こじつけ?

いずれにしろ、いまはこういう情念系は少し苦手かもしれない。
黒光という女性が、どうも苦手なのだ。



萩原守衛《文覚》1908

                                                        



平櫛田中《鶴しょう》1942

非常に重量感のある岡倉天心像。