2010年5月31日月曜日

洲之内徹と長谷川潾二郎

                                      
 どんより曇った肌寒い日曜日、遅い朝食を済ませた後、録画してあった日曜美術館を見る。


 今日の特集は、長谷川潾二郎。

 わたしが潾二郎を知ったのは、ごく最近のことである。美術評論家・洲之内徹の没後20年を記念して刊行された『洲之内徹が盗んでも自分のものにしたかった絵』の表紙に「猫」の絵が飾られていたのがきっかけだった。




 「猫」の絵は、一言でいえば「色調と造形の美しい絵」ということになるが、そんな頭でっかちの表現はこの絵には似合わない。
 もう、胸がキュンと締めつけられるような、一目惚れしてしまうタイプの絵。見ているだけで幸せな気分になれる絵。いつもそばに飾って、ずっと慈しんでいたくなる、そんな絵なのだ。
(この絵を表紙にして『洲之内徹が盗んでも自分のものにしたかった絵』というタイトルをつけるセンスには脱帽!)

 この本には他にも、「バラ」や「道」など、潾二郎の作品が何点か収録されている。

 「静謐・孤高」と言われる潾二郎だが、彼の絵は確かに静かではあるものの、そこにはどこかぬくもりがある。描く対象への敬意と慈愛が見る者に伝わってくる。
 彼が描く絵には「孤高」という言葉が醸し出す冷たさや寂寥感はなく、自己と自己がとらえる現実(リアリティ)の世界への充足感がもたらす安らぎに満ちている。
 現実をていねいに見つめ、ていねいに描き、おのれの生をていねいに生きた人ではないだろうか。

 洲之内徹は、潾二郎についてこう書いている。


 「長谷川さんの仕事の遅いのには泣かされる。昭和四十五年の春、私の画廊で長谷川さんの個展を開いたが、個展の約束をしたのは六年前であった。ちっぽけな画廊の壁面を埋める十七点の商品を揃えるのに六年かかった」

 裏を返せば、六年待っても個展を開きたいほど、洲之内徹は潾二郎の絵に惚れ込んでいたことになる。

 (洲之内徹が書いた「猫」の絵にまつわるエピソードはここには引用しないが、洲之内徹が画家に対して抱いた深い敬意と理解、そして絵に寄せた恋情ともいうべき、熱い思いがうかがい知れるエピソードとなっている。)

 『洲之内徹が盗んでも自分のものにしたかった絵』の解説によると、洲之内徹には自分の画廊で個展を開くにあたり「暗黙的条件」があったという。
 それはつまり、「他の評判や、地位とか名誉とか、それらが箔になってついている作品はだめである。うぶくないといけない。したがって、マイナーである。マイナーであること」だった。

 これこそ画商の真骨頂だろう(商売としては成り立たないかもしれないが)。
 洲之内徹の美へのこだわりと、美術品にかぎらずおのれの美意識に忠実に生きたその生きざまについては、彼の女性遍歴とともに、『彼もまた神の愛でし子か――洲之内徹の生涯』(大原富江著、ウェッジ)に詳しく書かれている。著者・大原富江は言う。

 「彼にとっては絵も女も、いつまでも、いま眼の前にいるそのものだけでなければならなかった。絵についての、いかにももっともらしい意味づけが大嫌いであった。(中略)絵も女も、いつも眼の前に存在する「絵」そのものだけ、「女」だけでなければならなかった。それはしかしなにも彼だけが特殊であったわけではなく、すべての人間に、男にも、女にもあるエゴイズムであった。正直で、妥協しないとなればそうなるほかない。別の言い方をすれば純粋なのである。」




 洲之内徹のコレクションは彼の死後、宮城県美術館に収蔵された。その一部を、現在平塚市美術館で開催されている「長谷川潾二郎」展で見ることができる。



 絵にまつわる歴史的宗教的背景、作風の変遷といった、さまざまな知識を学ぶのはそれはそれで楽しい。寓意に満ちた絵の謎ときは、絵画鑑賞の醍醐味のひとつでもある。
 でも、予備知識のない真っ白な状態で、「いつも眼の前に存在する『絵』そのものだけ」を見つめ、「美しいものが美しいという」疑いようのない事実を認めて、絵に無心に向き合うことこそ究極の鑑賞法なのかもしれない。
 青山二郎といい、洲之内徹といい、日本にはこういう個性的でクリエイティブな目利きがいるから面白い。美は人に見出されることによって、美になるのである。



                         

2010年5月27日木曜日

永遠の微熱少年

                           
 今日、NHKの松本隆特集を見て、真っ先に感じたのが、

 松本さん、もう60なんだ、という率直な驚きです。

 でも人のことは言えません。

 かくいうわたしも不惑を過ぎたのですから、

 松本さんが還暦を過ぎるのも当然といえば当然ですね。



 松本隆さんの歌が流行っていたのは、80年代、わたしが十代のころ。

 当時は彼の詞が特に好きでも嫌いでもなかったと思います。

 ただ、街でよく流れていたというそれだけの理由から、

 必然的にわたしの青春時代のBGMになったのですが、

 大人になって聴いてみると、

 彼の詞ってほんとにいいなあとしみじみ思います。



 特に好きなのが、松田聖子の「瞳はダイヤモンド」と薬師丸ひろ子の「Woman」。

 なつかしい……。

 失恋や片思いをしているときによく聴いたものです。

 わたしにとって心の甘い痛みを癒してくれる、処方箋のような歌でした。

 とにかく泣けるのです。

 涙を流しながら、甘美な自己陶酔に浸ったものです。

 彼の詞は、たとえそれが失恋ソングであっても、報われない恋の歌であっても、

 どろどろした情念やじめじめした悲哀やうらみつらみとは無縁で、

 ガラスとかダイヤモンドとかルビーとか、雨とか涙とか、

 どこか無機的なキラキラした透明感にあふれていて、

 その歌を聴くと、脳内で美しい映像が流れてノスタルジックな映画を

 観ているような気分になれるのです。



 久しぶりにテレビで拝見して思ったのですが、

 その詞がいつまでも色あせないように、松本さん自身も

 永遠の微熱少年なのかもしれません。

             

2010年5月24日月曜日

わが恋は松を時雨の染めかねて 細川家の至宝展・第Ⅰ部第1章

                                             
 金曜日(21日)の夕方、先月の講演会でいただいた招待券をにぎりしめて、
東博で開かれている『細川家の至宝』展に向かった。

 昼間はかなり暑かったが、日の沈みかけた上野公園では、新緑が涼しげに
夕風にそよいでいた。



 会場に着いてから知ったのだが、わたしが愚図愚図している間に
前期が終わり、展示替えがされていた。

 つまり、お目当てだった「織田信長自筆感状」も、宮本武蔵の「鵜図」も、
白隠の「半身達磨図」も「十界図」も「鉄棒図」も、菱田春草の「黒き猫」も、
小林古径の「髪」も、どれもこれもすべて観ることができなかったのだ。

 か、悲しすぎる……。

 気を取り直して。  以下は、心に残った名品についての覚書である。

 本会は「武家の伝統――細川家の歴史と美術」と「美へのまなざし
――護立コレクションを中心に」の2部構成になっている。

 第Ⅰ部「武家の伝統」の第1章「戦国武将から大名へ――京・畿内における
細川家」では、鎌倉時代から江戸初期の細川家の名品が、
具足や武具などを中心に紹介されていた。

 この中でとりわけ惹かれたのが、鎌倉時代の「時雨螺鈿鞍」

 当時の螺鈿技術の粋を凝らしてつくられた松と葛の精緻な図柄である。

 その図柄のあいだに、文字(慈円の歌「わが恋は松を時雨の染めかねて
真葛が原に風騒ぐなり」(新古今))が隠されているという、
非常に洒落た趣向になっていた。


 鎧の装飾、具足や軍配団扇や火縄銃にあしらわれた象嵌などにも
細川氏の武士としての美意識が随所に見られた。



 このコーナーには細川ガラシャの消息も展示されていた(よく言えば、女性らしい
たおやかな書風。正直言うと、ミミズが縦に長くのたくったような感じで、
わたしには判読できなかった)。

                         
                    
                                         

肥後のリンネ、あるいはメーリアン――細川家の至宝展・第Ⅰ部第2章

                                                                 
 第Ⅰ部第2章は「藩主細川家」で、豊前小倉と肥後熊本の藩主になった細川家ゆかりの品々
が陳列されていた。

 ここでは、前述のようにお目当ての宮本武蔵の「鵜図」はなく、代わりに同じく武蔵の
「達磨図」を見ることができた。


 この達磨図、武蔵らしくないというか、筆に迷いがあるようで、気迫がいっこうに感じられない。
  どこかションボリした風情の、頼りなげなダルマさんなのだ。

 後で紹介する白隠の達磨図とは対照的だった。

 このコーナーの見どころは、わたしが「肥後のリンネ」と勝手に呼んでいる細川重賢が熱中した
博物学関連のコレクションだ。

 「百卉侔状」や日本で初めて昆虫の変態を描いたとされる「昆虫胥化図」
(いずれも18世紀半ば)は、画家でナチュラリストのマリア・シビーラ・メーリアンが
18世紀初頭に出版した『スリナム産昆虫変態図譜』のように緻密で美しい。

『スリナム産昆虫変態図譜』

 また、「押華蝶」は、参勤交代の帰路に重賢が採集した植物標本をまとめたものであり、
珍しい草花を見つけるたびに馬から降りて採取したというカール・フォン・リンネの
エピソードが想起される。

 当時は大名同士でコレクションを見せあったり、交換したりしたというから、
おそらく18世紀の日本にも博物学のひそかなブームが押し寄せていたのだろう。

 ちなみに、澁澤龍彦は美術論のエッセイの中で、
「江戸琳派と呼ばれる抱一および其一こそ、日本で初めて植物の品種を
見る者にそれと分るように、写実的に描いた画家なのである。
抱一や其一の描いた植物は、すべて私たちが植物図鑑を見て同定することのできる
ものばかりである」(『日本芸術論集成』河出文庫)と述べている。

 澁澤さんが「日本のマニエリスト」と呼ぶ酒井抱一が、「風雨草花図」(通称「夏秋草図屏風」)
を描いたのが19世紀の初め。
 重賢がお抱え絵師に「百卉侔状」を描かせたのが18世紀半ばだから、
それよりもかなり時代が下ることになる。

 つまり、18世紀に日本で花開いた(静かな)博物学ブームの素地があったからこそ、
精緻な写実性に優美で洗練された装飾性を加えた江戸琳派の草花絵が
生まれたのではないだろうか。
 
 そんなふうにあれこれ妄想が浮かんでくるほど、重賢の博物学コレクションは見事だった。
                         



生物多様性とリンネの探検旅行








                                       

「ゆがみ」の美学――細川家の至宝展・第Ⅰ部第3章

                
 第Ⅰ部第3章は「武家の嗜み」で、能や和歌(細川幽斎は古今伝授の伝承者)や茶道(忠興は利休七哲のひとり)にゆかりのある名品が紹介されていた。

 ここでは茶道具がひときわ目を引いた。

 利休が北野大茶会で使用したとされる「南蛮芋頭水差」「唐物尻膨茶入(利休尻ふくら)」、非の打ちどころのないほど均整のとれた形をした「唐物茶壷(銘 頼政)」(顔は猿で胴体は狸、手足は虎、尾は蛇の怪物「鵺」を退治した平安時代の武将・源頼政にちなんでつけられた)、
「黒楽茶碗(銘 おとごぜ)」、侘び茶の創始者・村田珠光が所持していたとされる「黄天目 珠光天目」など、名品ぞろいでため息が出る。

 中でも印象深かったのが、利休作の茶杓「銘 ゆがみ」である。

 これは、利休が秀吉に蟄居を命じられた際に、忠興と古田織部だけが淀まで見送りにきたことから、後に利休が感謝のしるしとして、みずから削った茶杓をこの二人の高弟にそれぞれ贈ったもの(織部に贈られたのが「銘 泪」)。

 歪みというか、少しねじれたような顕著な蟻腰になめらかな節をもつ、非常に繊細な薄づくりの茶杓である。

 きわめて均衡を欠いた「ゆがみ」の中に美を見いだし、それを自分の形見とした利休の美学と魂のあり方。それは、次のコーナーで紹介される白隠の画や書にも通底するように思える。



                                        

泰然自若にして融通無碍なるもの――細川家の至宝展・第Ⅱ部

                         
 第Ⅱ部は明治期に永青文庫の基盤となる財団を設立した細川護立のコレクションの展示。

 このコーナーで圧巻だったのは、護立が無我夢中で集めたという白隠のコレクションである。

 「達磨図」は白隠が83歳で描いたものだが、とてつもなくエネルギッシュな筆づかいで画かれ、気迫がみなぎっている。

 また、「巌頭全豁語」「一鏃破三関」などの墨蹟は豪放で決然としていて、観ているだけで迷いが取り除かれ、何事にも動じず、揺るぎない心になっていく気さえした。

 観る者に「気(エナジ―)」を与えてくれるような、非常にパワフルな画や書なのだ。

 白隠画は他にも、ハマグリの上に坐す蛤蜊観音(観音三十三身のひとつ。
ハマグリ好きの唐の文宗がハマグリの殻が開かないので香を焚いて祈ると観音様になったという故事に由来するが、なんとなくギリシャ神話(アフロディーテの誕生)の影響もあるように思う)が
エビやイカなどの魚介類を頭に載せた衆生や竜王に法を説く「蛤蜊観音」や、
擬人化された白鼠たちを描いた「鼠師槌子図」、
お福が男の尻にお灸をすえる「お福御灸図」など、
修業を積んだ禅僧ならではの軽妙でユーモラスな作品もあった。

 泰然自若とした中にも「軽み」のあるところが白隠なのかもしれない。

 このほか、護立のコレクションは、日本や西洋の近代絵画から、中国戦国時代の大壺や銀杯、前漢の狩猟文鏡、唐三彩、インドのグプタ時代や中国北魏から唐までの仏像、イランの白釉色絵人物文鉢など、じつに多岐にわたっていた。


        閉館まで居座ったので、外はすっかり夜だった。
    ライトアップされた昭和初期の和洋折衷建築が闇に映える。
                                         

                                             
                                                

2010年5月23日日曜日

Viva!Bebop Jazz


 ETVの『schola音楽の学校・ジャズ編』を見終わり、バド・パウエルを聴きながらワインを一杯。

(今日はフリージャズのワークショップで、小学生がジャズマンになりきって、ピアニカを懸命に演奏しているのがすごく可愛かった!)

 今季のNHKは『ハーバード白熱教室』(“Good. What’s your name?”)や『ゲゲゲの女房』など、アタリ番組が多いが、『schola』もそのひとつ。

 特にこのジャズ編ではジャズの歴史が俯瞰できて、頭の中がすっきりと整理された。

 坂本龍一「教授」や山下洋輔さんらの鼎談はもとより、毎回エンディングで演奏されるセッションも素晴らしい。久しぶりに吉祥寺のジャズバーかライブハウスに行ってみたくなった。

 それにしても、国立音楽大学ニュータイド・ジャズ・オーケストラのレベルの高さには驚かされる。

 国立(くにたち)音楽大学といっても、所在地は国立市に隣接するT市。

 山下洋輔さんもT市在住だし、さらにいえば、わたしがあこがれる名ギタリストの岩見和彦さん(NANIWA EXP)も、たしかT市に住んでいらっしゃったと思う(もう引っ越されたかもしれないが)。ジャズバーがかつて多かったT市は、ジャズの街でもある。

 聞くところによると、国立音楽大学では来年度からジャズ専修が設置され、ナベサダさんや同大学OBの山下洋輔さん、そして「千手観音」のごとき神業ドラミングで黄金期のカシオペアファンを魅了した神保彰さんら超一流ミュージシャンを招聘・客員教授に迎えるそうだ。 
 なんと、ぜいたくな!

 来週のテーマは『ドラムとベースの成り立ち』。YMOのメンバーが集結するらしい。
 これも楽しみ。
 あくまで個人的な願望だが、フュージョン特集やギタリスト特集などが放送予定に加わると、狂喜乱舞するのだが。


                              

2010年5月20日木曜日

究極の幸福論――『孤独と人生』

              
「なんぴとも完全におのれ自身であることが許されるのは、
 その人が一人でいるときだけである。」
                    ――ショーペンハウアー

 この春、さまざまな別れがあった。なかにはかけがえのない人との離別もあったが、それはわたしがみずから選んだ別れでもあった。

 決断する前は、もう一度自分の足で立てるのか、立って歩けるのか、孤独に耐えきれるのかと不安ばかりがつのったが、別れが現実のものになると、思いのほか孤独を心地よく感じることができた。

 それは干渉からの逃亡であり、束縛からの解放であり、依存からの脱出だった。

 それでも時折、寂しさはやってくる。
 わたしの人生から消え去ったその人に、いつしか心のなかで語りかけている自分がいた。



 ショーペンハウアーの『孤独と人生』(金森誠也訳、白水社)を手に取ったのは、そうしたころだった。上記エピグラフの一節に続いて、彼はこのように述べている(金森訳をそのまま引用)。

「したがって孤独を愛さないものは、自由をも愛していない。強制はあらゆる社会と切り離すことのできない同伴者である。またいかなる社会でも犠牲を求めるが、これは個性が強い人ほど耐えがたいものとなる。こうした事情から、だれしもおのれ自身にどのくらいの価値をおいているかということと正確な割合で、孤独から逃げ、あるいは孤独に耐え、もしくは孤独を愛するようになる。」

 そう、孤独ほど自由なものはない。

 だがここで、ふと思う。私が意味する孤独と、ショーペンハウアーの意味する孤独とは、果たして同じものだろうか。
 彼は言う。

「若者はその主たる学問として、孤独に耐えることを学ぶべきである。それはこれこそが幸福と心の平穏のみなもとだからである。――これらすべてのことからいえるのは、ただおのれ自身だけにたより、おのれ自身がすべてのもののなかですべてでありうるものが、もっともすぐれたものであるということだ。(中略)それにおのれ自身にそなわるものが多ければ多いほど、その人にとって他人はそれだけますます問題にならなくなってくる。おのれのなかに価値と富をひめる人が他人と交渉するにあたって、彼らの求める重大な犠牲を提供することを拒むこと、まして自己否定を発揮して、こうした犠牲をみずから求めようとはけっしてしないことは、おのれ自身で足れりとする満足感があるからである。」



 さすがは孤独の上級者! ここまで孤独をきわめるのは容易ではないだろうが、「おのれ自身で足れり」とする生き方にはあこがれる。
 ショーペンハウアーの孤独感はわたしにとって、どんな成功法則よりも今の気持ちにピッタリくる究極の幸福論である。

                              

2010年5月17日月曜日

小池龍之介さん講演会 その2


 すうっと音もなく、痩躯の青年僧が現れた(著書によると普段は裸足で歩いておられるそうだが、わたしはド近眼なので確認できなかった)。


 着席された小池龍之介さんは無言のまま、数分間、瞑目(瞑想?)された。

 講演中、小池さんは何度も話を中断して、数秒から、長いときは数分間、目を瞑って沈黙されるのだが、これが龍之介さんの講演スタイルらしい。
 おそらく、さまざまな刺激に反応して、「怒」や「欲」や「迷」の命じるままに言葉を発することのないよう、心を鎮めるための作法なのだろう。

 一般の人がこの瞑目の作法やると奇異に(パフォーマンスっぽく)映るかもしれないが、小池師独特の雰囲気と、剃髪した僧侶の出で立ちというユニフォーム効果とが相まって、たび重なる沈黙タイムもそれほど気にならなかった(ように思う)。



 今日のテーマは「育てる」。

 子どもはもとより、家族やパートナーなど、自分と近しい人を、自分の意識のありようによって育てることについてのお話だった。

 話の内容をまとめると、さまざまな刺激を受けて条件反射的に、「ああしなさい」、「こうしなさい」と言っても相手には通じない。それがたとえ理屈の上では正しくても、怒りや感情に駆られて発言すれば、相手がその言葉を受け入れることはないだろう。ゆえに、怒りに駆られて行動に移す前に「8呼吸おく」ようにする、とのことだった。

 刺激に自覚的になることによって、刺激に反応して感情的な行動に出るのを防ぐことができる。刺激に自覚的になるには、「臨場感」を持つことが大切だと、小池さんはおっしゃっていた。

 それはおそらく、心の状態を観察するマインドフルネスや、我を忘れて「今この瞬間」を生きるフロー体験、あるいは「自己を習ふといふは自己を忘るるなり」という正法眼蔵の言葉にも通じる、小池さん流の表現なのだろう。

(小池さんは浄土真宗の僧侶であるが、その教えは基本的にはヴィパッサナー瞑想に近く、なおかつ、さまざまな宗派の教義および現代の思想が盛り込まれているようにも思う。それらを独自のユーモア感覚あふれる知的な表現法と、古くて新しいソフトな語り口で説いたのが、「小池龍之介本」なのである。)



 小池さんの話し方は穏やかで、抑揚がなく、まるで子守唄のようで、聞いているだけでリラックスできた(メンタルエステした気分)。

 わたしのような衆生には、話の途中で瞑目するのは難しいが、感情に駆られて行動しないためにも、「8呼吸おく」ことをつねに意識するよう心がけていこうと思った。


講演が開かれたラウンジでは、小田原務さんの「尾瀬の四季」写真展も開催されていた(かなりピンボケになってしまいましたが、実物はとってもきれいでした)。

2010年5月16日日曜日

小池龍之介さん講演会 その1


 五月晴れの日曜日、オリオン書房ノルテ店で開かれた小池龍之介さんの講演会に出かけた。

 気鋭の僧侶である小池さんの著書にはずいぶん助けられてきた。

 自分の自己顕示欲の強さにほとほと嫌気がさしていたころ、彼の著書『「自分」から自由になる沈黙入門』に出会い、「ジブンを薄める」という彼の言葉に、ハッとさせられた。実践するのは容易ではないが、彼のこの言葉は今では座右の銘のひとつとなっている。



 それからしばらくして、今の仕事がつくづく嫌になったときに読んだのが『煩悩フリーの働き方。』。仕事が嫌になるという気持ちの根底には、誇大化した自我意識が潜んでいることに気づかされた。要するに、「オレ様」的な思い上がりがベースにあったのだ。今やるべきことを、誠心誠意、丁寧に行う。当たり前のことだが、それこそが麗しい働き方であると、あらためて感じたものだった。



(小池さんは画才もある方で、著書の挿絵や表紙絵の多くをご自身で手がけておられる。コトリやコロコロした僧侶の絵がとっても可愛く、ほのぼのとしていて、見ているだけで癒される。)

 その後も彼の著書をいくつか読みあさり、読むたびに焦りや驕り高ぶった気持ちが消え、心の平安が得られた気がする。

 月読寺のセッションにも参加してみようと思いサイトにアクセスしたところ、タイミング良く、近くの大型書店で彼の講演会があることを知り、早速申し込んだ次第である。

「ジブンを薄めた」姿とはいかなるものか。イメージトレーニングを積むためにも、そのロールモデルを一目見ておきたかったのだ。(講演内容は、その2につづく)

2010年5月9日日曜日

火象地獄図――五島美術館『絵画の美』展


 訳稿の校正も終わって一段落ついた日曜日、五島美術館へ出かける。

 この日は源氏物語絵巻公開日の最終日ということもあり、世田谷の閑静な住宅街に建つ
美術館には、意外にも、かなりの人が押し寄せていた。

 この日公開されていたのは夕霧の巻。
 一条御息所から届いた文を読もうとする夕霧の背後から雲居雁が忍び寄る、
あの有名な場面である。

 それにしても、平安時代の絵巻物がこれだけ良好な状態で保たれているのは、
まさに奇跡としかいいようがない(一部、江戸時代に修復されたようではあるが)。

 顔料の剥落や褪色はあるものの、高温多湿の日本にあって、きわめて繊細な紙絵が
ここまで見事に残されているとは……。
 本美術館のスタッフをはじめ、平安以降の後世の人々がどれほど大切にこの絵巻物を
扱ってきたか、どれほどこの絵巻物を愛してきたかがうかがい知れる。

 他にも、紫式部日記絵巻や三十六歌仙絵などがあり、いっとき雅な世界に浸ることができた。
「匂い立つような」という言葉があるように、日本の人々は女性の美しさを、香りや所作や雰囲気から感じ取ってきたのだと、絵巻を見ながら改めて感じたものである。

 本展示でいちばん気に入ったのが、「沙門地獄草子断簡――火象地獄図」だ。

 「沙門」とは、サンスクリット語のシュラマナ(出家者)を音訳した漢語、つまり僧侶のことであり、
この地獄図では、淫蕩に耽った僧侶が地獄に落ちて、「火象」という火を噴く象に
身を焼かれたり、食べられたりしているさまが描かれている。 

 平安末期なので、象はまだ当時の人々にとっては、麒麟のように想像上の生き物(幻獣)
だったのだろう、現在われわれが知る象とはかけ離れた姿をしていて、象というよりも、
鼻が長い凶暴な人食い牛のように見える。

 象(特に白象)は仏教やヒンドゥー教では神獣として扱われるが、その象に
本来聖職者であるはずの破戒僧が食べられるというところが、
この地獄草子のミソなのだろう。

 他に見ごたえがあったのが琳派のコレクションである。
 本阿弥光悦筆・俵屋宗達下絵の色紙帖や鹿下絵和歌巻断簡では、渋く光る金・銀泥で
描かれた宗達の洒脱な下絵に光悦の装飾的な書が、じつに見事に調和していた。

 余白と絵と文字の絶妙の配置。このバランス感覚の素晴らしさ。卓越した才能の共演が生み出す美は、やっぱ、いいですね。

 興味深かったのが、伝宗達筆と光琳筆の「業平東下り図」が二幅並べて展示されていた点である。

 伝宗達筆の「東下り図」では、業平一行の姿が画面全体を占めているのに対し、
光琳筆の業平図では、画面左上方に富士山が大きく配され、業平一行は右下に
小さく描いているだけである。
 構図のセンスの良さ、奇抜さの点では、光琳筆のほうが面白い作品に仕上がっている。
 きっと光琳は、宗達の「東下り図」を参照しながら、その一歩先を行く意気込みで
この画を描いたにちがいない。

 光琳の洒脱なセンスがさらに発揮されているのが、「紅葉流水図(竜田川図)」。

 デフォルメされた丸い緑の山が二つ連なり、山のふもとでは川がなだらかな曲線を
描きながら流れていく。
 青い川には、光琳特有の竜田川模様が金で描かれ、背景も金泥で塗りつぶされている。
 丸みを帯びた画面(もとは団扇だったものが掛け軸に仕立て直されたため団扇型の
画面になっている)の右上方と下端には、赤い紅葉がアクセントのように配され、
いかにも琳派(光琳)らしい絵に仕上がっている。

 五島美術館は庭園も素晴らしく、五月晴れのこの日は若葉が陽光に照らされて、
透き通った緑色のセロファンのように、みずみずしく輝いていた。


庭園で発見した不思議な石像
 
 
      狛犬のバリエーションだと思うが、羊だろうか。
象に見えなくもない。


2010年5月8日土曜日

陶芸の森――ハンス・コパー展


 山陰西部(高速の料金所で着ぐるみの鬼太郎から歓迎を受けるなど、水木しげる関連のイベントで沸き返っていた)と関西にW帰省した大型連休中、移動の合間に、信楽にある「陶芸の森・陶芸館」で開催されているハンス・コパー展に足を運ぶ。
(本当はMIHO MUSEUMに行きたかったのだが、時間と同行者の趣味の関係上、こうなってしまった。)

 ルーシー・リーの下でアシスタントとして修業を積んだハンス・コパーは、古代エジプトやエーゲ文明の器や彫刻の影響を受けながら、独自の作風を築いていった。

 コパーが中国陶器の影響を受けたことは一般的にあまり語られていないが、貴人台に載せた天目茶碗に似た作品もいくつかあった。均整のとれた彼の作風は、日本の陶器よりも、中国・朝鮮のそれに通じるものがある。

 だが、コパー独自の感性が存分に生かされているのは、なんといっても、腕を胸の前で組み、両足そろえて直立するという独特のポーズをとるキクラデス彫刻を模した「キクラデス・シリーズ」や、鍬の形状を模した「スペード・シリーズ」だろう。

 彼のキクラデスは作品ごとにボリュームが変わるため、基本フォームは同じでも、スリムでエレガントなものから、艶めかしい曲線を描くもの、アニメキャラクターのようにコロコロした愛嬌のあるものまで、実にさまざまだ。

 無駄を完全に排した究極の洗練美を体現していながら、有機的なあたたかみを感じさせる彼の作品を前に、触れてみたい、この手でしっかりと包み込み、その質感と重量感を味わいたいという衝動に、何度駆られたことだろう。

 ルーシー・リーの作品が見るだけで視覚を十分に満足させてくれるのに対し、見るだけでは飽き足らないのがコパー作品なのかもしれない。

 ちなみにルーシー・リーの作品もいくつか展示されており、彼女の陶製ボタンが特に好きなわたしには、うれしいかぎりだった。彼女自身も芸術のように美しいルーシー・リーの作品には夢があって、見ているだけで幸せな気分になれる。

「ハンス・コパー展」は、今夏、汐留ミュージアムで巡回展示されるとのことである。

             美術館の前庭に、なぜかパンダ。


            信楽だからタヌキの代わり?